■翻訳家インタビュー ―― 田口俊樹さん
   ニューヨークにこだわるミステリ作家ローレンス・ブロック。そのブロックの作品 のほとんどを訳されてきた田口俊樹さんに、代表作であるマット・スカダー・シリー ズに対する思いや、ニューヨークに行かれたときの印象をうかがった。
《田口俊樹さん》1950年生まれ。早稲田大学文学部卒。『死への祈り』(ローレンス・ブロック/二見書房)、『神は銃弾』(ボストン・テラン/文春文庫)、『カール・マルクスの生涯』(フランシス・ウィーン/朝日新聞社)、『パナマの仕立屋』(ジョン・ル・カレ/集英社)、『刑事の誇り』(マイクル・Z・リューイン/ハヤカワ・ミステリ文庫)など訳書多数。ほかに『おやじの細腕まくり』(講談社)や『ミステリ翻訳入門』(アルク)といった著書がある。   
――田口さんとマット・スカダー・シリーズとの出会いは「バッグ・レディの死」と いう中篇だそうですが、そのときの思い出をお聞かせください。
「あれが《ミステリマガジン》に掲載されたのは1979年でしたか。まだぼく自身が駆 け出しで、ブロックの別のシリーズ“泥棒バーニイ”の訳書が出たころでした。スカ ダーものはすでに本国で長篇が3作出てたけど、あまり売れてなくてね。ぼくもじつ は読んでなかった。で、『バッグ・レディの死』を読んだら、エンタテインメントに もこんないい人情話があったのかと思いましたね。つらい人生を送ってきた庶民の生 活がリアリティをもって描かれていて、なかなか泣かせる話です。あれが掲載された あと、鮎川哲也さんから“いまのミステリの水準の高さをしめす作品だ”とお褒めの 言葉をいただきました。宮部みゆきさんもあの作品でスカダーに惹かれたとおっしゃ っているみたいですね。そういうのを聞くと、訳者としてうれしくなります」
――以後、順調にスカダー・シリーズを訳されているわけですが、読者として好きな 作品はどれですか?
「やはり『八百万の死にざま』、『聖なる酒場の挽歌』それに『慈悲深い死』の3作 ですね。『慈悲深い死』はミステリとしてもうまくできてると思うけど、『八百万〜』 なんかはそういう部分では大したことない。でも、新聞記事を使ってニューヨークの いろんな死を描いてるのがうまいんだよね。さんざん書いたわりには、スカダーの感 想は“なんとね”だけなんだけど(笑)」
――では、訳者として思い出深い作品はどれですか?
「これもやはり『八百万の死にざま』でしょうねえ。最後のシーンはいまだに憶えて ます。ずっと言えなかったせりふを最後の最後で言うでしょう? 言えなかったのに もこだわりがあるわけですよね。AA(アルコール依存症自主治療協会)の禁酒の手 引きに、“神よ願わくば、自分で変えていけるものを変える勇気と、変えられないも のを受け入れる落ち着きと、そのふたつを見きわめる知恵を与えたまえ”というのが あるんです。それまで西洋人って個人主義で自己をちゃんと持っていて、自信家ばか りだと思ってたけど、この禁酒の心得は自分が無力なのを認めなさいって言ってる。 それがちょっとおもしろかったな。あ、西洋人にも弱いやつがいるんだなんてね」 ――マット・スカダーについて田口さんなりのイメージをお聞かせください。
「わりとぼくは冷たい人間だし、スカダーほど暗くないから、突き放して見てる部分 はありますが、スカダーというのは心に病をかかえながら一生懸命生きようとしてい るところがいいですね。どこか投げやりでありながら投げやりになりきれない。スー パー・ヒーローじゃないけど、ただだらしないだけでもない。ふつう人間ってそうで しょ? そのへんのリアリティに共感できますね。意図してるんでしょうが、外見な んかは具体的に書かれてないですよね。中肉中背くらいで。だから、正直言うと容姿 についてはきちんと思い描いてません。ブロックに会ってからは、彼とスカダーが重 なっちゃってしょうがないんです(笑)」
――スカダー・シリーズでお気に入りのキャラクターはいますか?
「スカダーのかつての恋人でアル中仲間のジャン・キーンが好きでした。エレインは ちょっと完璧すぎちゃってね。あと『八百万〜』で最初に殺されちゃうキム・ダッキ ネンという娼婦もいい。どっかさびしくて色っぽくて、娼婦のリアリティがあるなあ と思いました。男のキャラクターでは、ミック・バルーがかっこよくて好きだな。あ とは、『聖なる〜』で酒場をやってるモリシー3兄弟とかね」
――スカダーの助手になるTJの口調はおもしろいですね。
「あのしゃべり方には苦労しました。現代っ子で黒人で、たぶん向こうの人が聞いて もおやと思うようなしゃべり方なんだろうなあと思って、それを生かそうとやってみ たんですが、うまく表現できませんでした。そもそも子どものしゃべり方ってむずか しいんですよ。そのまんま真似しても、何年かあとにはおかしくなる場合もあります からね。だから、子どもたちの言葉のいいところをうまく引き出してやらないといけ ない」
――舞台となるニューヨークに行かれたときのことをお聞かせください。
「はじめて行ったのは1991年です。そのあとにもう1回行ってます。ずっとブロック を訳してきたのに、それまで行ったことがなかったんですよ。ニューヨークを舞台に した作品を訳しているから、さぞかし詳しいんだろうと原稿の依頼を受けたこともあ りますが、編集者と話してるうちに『いや、まだ行ったことないんです』なんて言っ て驚かれたりしてね。じっさい行ってみてよかったですよ。こんな感じかなと勝手に 思ってたところが全然ちがってたりして、そういうのを修正できたし」
――ニューヨークではどんなところを見てまわられたのですか?
「マンハッタンのなかだけですが、あちこち歩いてまわりました。スカダー行きつけ の〈アームストロングの店〉に行ってみたり、ジャン・キーンが住んでた通りを歩い てみたり。名作の旅みたいな感じでね(笑)。最初に行ったときはまだ治安がよくな いころでした。42丁目あたりなんか昼間でもちょっと怖かったですね。5、6年前に 行ったときは少しよくなってて、最近息子が行ったんですが、夜中に地下鉄に乗って も怖くなかったなんて言ってましたよ」
――ブロックご自身にも会われたそうですね。
「いい人でしたよ。彼にかぎらず、向こうの作家はファンを大切にしている感じがし ますね。商売人であって、芸術家ぶってないというか。本を売るためにはサイン会と か朗読とか、そういうこともしなくちゃいけないとわかってる。まあ、英語圏のマー ケットは大きいから、初版の部数もちがう。日本の作家ほどあくせく働かなくても食 べていけるんでしょう。だから、そういう余裕も生まれてくるのかもしれません」
――今後の訳書の予定を教えてください。
「ロレンゾ・カルカテラの『ギャングスター』が新潮文庫から出ます。ニューヨーク のギャングの100年におよぶ歴史を題材にした小説です。それより、早川書房から出 るチャールズ・バクスターの長篇のほうが先かもしれません。ほかに、アフリカを舞 台にした女探偵のノンフィクションもあります。あまりにできすぎた話で、本当にノ ンフィクションかと疑っちゃうんですけどね。ほろっとさせるいい話なんです」 ――ローレンス・ブロックの翻訳の予定はありますか?
「最新作の "SMALL TOWN" もぼくが訳します。来年の早いうちには出したいと思って います。ニューヨークへのオマージュというか、ブロック自身のあの街に対する愛情 が感じられる作品に仕上がっています。9・11同時多発テロ後のニューヨークが舞台 ということで、商売上手だなあなんて思ったんですが、じつは違った。以前から書い ていたけど、あの事件で書けなくなって中断していたらしい。また、日本独自編集の 短篇集を出す企画もあります」
(取材・文/山本さやか、中西和美)
(2003年3月号)
 
■主な訳書と著書紹介■

【訳書】
『死への祈り』(ローレンス・ブロック/二見書房)
『八百万の死にざま』
               (ローレンス・ブロック/ハヤカワ・ミステリ文庫)
『聖なる酒場の挽歌』(ローレンス・ブロック/二見文庫)
『慈悲深い死』(ローレンス・ブロック/二見文庫)
『神は銃弾』(ボストン・テラン/文春文庫)
『カール・マルクスの生涯』(フランシス・ウィーン/朝日新聞社)
『パナマの仕立屋』(ジョン・ル・カレ/集英社)
『刑事の誇り』(マイクル・Z・リューイン/ハヤカワ・ミステリ文庫)

【著書】
『おやじの細腕まくり』(講談社)
『ミステリ翻訳入門』(アルク)

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