| 《平岡敦さん》1955年生まれ。中央大学大学院修了。現在、中央大学講師を務める。訳書は『第四の扉』(ポール・アルテ/ハヤカワ・ミステリ)、『殺人交叉点』(フレッド・カサック/創元推理文庫)、『クリムゾン・リバー』(ジャン=クリストフ・グランジェ/創元推理文庫)、『カービン銃の妖精』『散文売りの少女』(ともにダニエル・ペナック/白水社)、『砕かれた四月』(イスマイル・カダレ/白水社)、『殺しの挽歌』(ジャン=パトリック・マンシェット/学習研究社)ほか多数。 |
――ミステリはいつごろから読み始められましたか。英米仏を問わず、お好きな作家
や作品を教えてください。
「ミステリ・ファンは大体みんな同じだろうと思うのですが、小学生のころに読んだ
子ども向けホームズやルパンもの、乱歩の少年探偵団シリーズが出発点です。それに、
たしかあかね書房だったでしょうか、海外ミステリの名作集のようなものが出ていて、
クリスティーの『ABC』やクイーンの『エジプト十字架の秘密』、カーの『魔女の
かくれ家』なんかを読みました。そのあとも、小学生ながら文庫本でクイーン、クリ
スティーを読んでましたが、だんだんとSFのほうに興味が移って、中学校時代はS
Fのほうが多かったと思います。
もともと、ひとりの作家やひとつのジャンルにのめり込むというより、あれこれと
つまみ食いをする移り気な読み方なので、好きな作家、作品と言われると、ちょっと
困ってしまいます。比較的一貫して読んでいるのは、筒井康隆くらいでしょう。だか
らミステリでも、誰もが読んでいるような有名作品を読んでいないこともけっこうあ
るんです。そういうのは、老後の楽しみにとっておこうと思っています」
――ワセダミステリクラブご出身とのことですが、在籍時にはどのようなタイプの作
品を読まれていましたか。
「ワセダミステリクラブでは、入ったときにミステリの人、SFの人と色分けをする
のですが、ぼくはSFのほうということになっていました。でも実際には、そのころ
はもうあんまりSFも読まなくなっていて、どちらかというと怪奇小説や幻想文学を
読むことが多かったです。仏文の卒論もネルヴァルを取り上げましたし。でも、ちょ
うど卒業をするころ、ポケミスから出たA・D・Gの『おれは暗黒小説だ』っていう
のを読んで、ぶっ飛んでしまったんです。ジョゼ・ジョバンニの翻訳者で知られる岡
村孝一訳ですが、それまで知っていたフランス・ミステリとは全然違う、テンポのい
い展開とユニークな文体が新鮮でした。それで暗黒小説(ロマン・ノワール)って何
だってことで、少しはフランス語も読めるようになってきたところだったので、手さ
ぐりでフランスの新しいミステリを読み始めたのが、現在にいたるきっかけです。た
だ、ほかでも何度か書いたことですが、あとで『おれは暗黒小説だ』を原書と合わせ
てみたら、おもしろいところはほとんどみんな、岡村孝一の創作だったんですけど」
――昨年話題になったポール・アルテ『第四の扉』は、密室、交霊会といった道具立
て、舞台が英国であることなどに、いかにも本格ミステリ好きといった著者の趣味が
うかがえました。フランスではこうした本格ものは現在さかんなのでしょうか。
「もともとフランスでは、ミステリも文学性の強いものが好まれ、ストーリーの構成
やトリックよりも、雰囲気作りや文体、テーマの社会性に重点が置かれる傾向があり
ました。それは今でも変わらず、例えば『第四の扉』と前後して邦訳された『死者を
起こせ』のフレッド・ヴァルガスなど、一般的な人気と言う点ではアルテよりもずっ
と上なんですが、これも文学的な雰囲気が漂っているところが好まれているのでしょ
う。ですから、アルテのように密室トリック一本でやっているがちがちの本格ミステ
リ作家というのはやはり変わり種で、マニアックなミステリ・ファンから根強い支持
を受けているという感じではないでしょうか」
――アルテは多作だとのことですが、それはフランスの読者に読まれつづけていると
いうことでもありますね。アルテのどんなところが読者に受けるのでしょうか。「読
者の驚かせ方」がうまい人なのかな、とも思うのですが。
「アルテはベストセラーの上位に名前を出すといったタイプの作家ではないのですが、
あれだけ作品を次々と発表して、長編を集めた作品集も出ているということは、熱心
なファンがいることの証だと思います。アルテのいちばんの魅力は、たしかにそのサ
プライズにあるわけで、アルテ自身、ミステリの本質は〈驚き〉なんだというような
ことをどこかで言っています。読者のほうも、今度はどんな趣向で驚かしてくれるの
かと期待して読んでいるのでしょう。それから『第四の扉』には名前しか出てきませ
んでしたが、ツイスト博士の相棒でロンドン警視庁警部のハーストという登場人物が
いて、これがツイスト博士の徹底的な引き立て役をするユーモラスなキャラクターな
んです。それって、ホームズ=ワトソン以来の伝統的パターンなんですが、そういう
お約束パターンもシリーズものを読むときの楽しみではないでしょうか」
――“本家”ディクスン・カーの持つおどろおどろしい雰囲気が、アルテにはちょっ
と足りないように感じられた、という意見も出ましたが。
「これは、アルテの作家としての資質から来ていることでしょう。『第四の扉』もそ
うですが、アルテの作品は概して短めのものが多く、情景や雰囲気の描写はわりあい
あっさり済まされています。ボワロー&ナルスジャックやカトリーヌ・アルレー、フ
レデリック・ダール、初期のセバスチアン・ジャプリゾなども、みんな作品は短いで
すよね。なるべく余分な要素を削ぎ落として、本質的な部分だけをスパッと手際よく
描き出すというやり方が、フランス・ミステリの伝統としてあるのだと思います。ア
ルテも密室トリックをまず中心に据え、それをどう効果的に読者に印象づけるかとい
うことを考えて、作品を組み立てているのでしょう。あまり長すぎて読者の関心が散
漫になると、最後にくる謎解きの〈驚き〉が半減されてしまいますから。たしかにあ
っさりしすぎ、という印象もありますが、良くも悪くもこれがアルテの作風なのです。
それからもうひとつ、ともかくアイディアが次々に出てくる人なので、早く書きあげ
て次の作品にむかいたい、なんていう気持ちも働いているのかなと想像しています」
――ジャン=クリストフ・グランジェの『クリムゾン・リバー』は、それまでのフラ
ンス・ミステリのイメージを塗り替えるような骨太のサイコスリラーでした。アルテ
にしてもグランジェにしても、英米作家からの影響が濃厚だと感じますが、現在のフ
ランスミステリの世界ではこの2人のように、英米の影響をうけた作家の台頭が目立
っているのでしょうか。
「フランスでも英米の翻訳ミステリはとても読まれています。日本で人気のある英米
作家は、フランスでも人気があり、その点で状況はまったく同じです。ひとつ違うの
は、スペイン、北欧、南米など、日本であまり紹介されていない作家も訳されている
点でしょう。ですから、英米の影響を受けた作家というのも出始めてはいるのですが、
やはり評価が高いのは、ロマン・ノワールの伝統を受け継ぐ、フランスらしいフラン
ス作家のようです。英米的なものは英米にまかせ、フランス・ミステリにはフランス
らしいものを求めているわけです。その意味では、グランジェの成功はむしろ異例の
ことだと言っていいでしょう。フランスでのグランジェ人気はすさまじく、今年の1
月に出た新作『狼の帝国』は売れまくっています。ただこの作品も、パリのトルコ・
マフィアを絡めるなど、フランスが現在置かれている社会状況をうまく生かした物語
作りをしています。ですからグランジェ人気の秘密は、英米風のストーリー・テリン
グと、フランス・ミステリの伝統をうまくかみ合わせたところにあるのだと思います」
――ダニエル・ペナックの作品には言葉やイメージの転がし方に独特のユーモア感覚
があって楽しい反面、あのノリを日本語にするのはむずかしそうだとも思いました。
「まったくそのとおり。ペナックの文章は言葉遊びがふんだんに盛り込まれていて、
ともかくひねりまくっています。ストレートに表現されている部分のほうが少ないく
らいで。だから読んでいてもさっぱりわからない部分もあるのですが、そういうとこ
ろは仕方ないのでどんどんフランス人に質問しています。ただ、個々に取りあげてい
った場合、翻訳不能なユーモアもあるので、それを別のユーモアに置き換え、全体と
してペナックのユーモラスな文体のイメージを日本語で再現するといった工夫は考え
ています」
――絵本もふくめてご訳書のジャンルが多岐にわたっていますが、今までに訳されて
一番おもしろかった作品、一番ご苦労された作品は何でしょうか。
「どの作品もそれぞれにおもしろさと苦労がありますが、中篇の『殺人交叉点』は苦
労しました。未読の人もいると思うので、詳しくは話せませんが、ある事実をずっと
見えないようにしながら、最後のサプライズ・エンディングまで持っていかなくては
いけないので。『殺人交叉点』と併録された『連鎖反応』もヘンな小説で、婚約が決
まったのに、別に付き合っていた愛人に子どもが出来てしまい、大真面目に悩んだあ
げくに考えついた方法というのがとんでもない。この主人公の妙なズレ方というのが、
訳していてもおもしろかったですね」
――フランス語の翻訳ゆえのご苦労がありましたら、お聞かせください。
「翻訳の苦労は英語でもフランス語でも変わらないと思いますが、英語のほうがレフ
ァランスが充実しているところはうらやましいです。今は、インターネットでかなり
調べられますけど、『リーダーズ・プラス』のような辞書がフランス語にもあったら
と、よく思います」
――フランスミステリの情報を得るために、どのあたりにアンテナを張っていらっし
ゃるのでしょうか。これまでに訳された本はご自分で見つけられたのですか。
「今はやはりインターネットですね。フランスのミステリ・ファン・サイトや、アマ
ゾン・フランスが送ってくれる新刊ミステリ、人気ミステリの記事とか。ミステリ専
門誌としては、『ポラール』というのが季刊で出ていますが、これは評論を中心にし
て特集を組む、研究誌的な性格の強い雑誌です。訳した本は、自分で見つけたものと
編集者に教えてもらったものと半々くらいです。担当の編集者さんは、みんなけっこ
うフランスものには詳しいので、お互い注目していた作家が一致して自然と話がまと
まるという感じの場合もあります」
――近年、本邦ではフレッド・ヴァルガスのほか、ミシェル・クレスピ、トニーノ・
ベナキスタ、ベルトラン・ピュアールなど、フランス・ミステリの翻訳刊行がつづい
ています。日本のミステリ・ファンにも受け入れられそうな未紹介の作家は、まだま
だいると思われますか。また、ご自身で訳したいと思われる、フランスで注目のミス
テリ作家はいますか。
「ぼくに言わせれば、フランス・ミステリは『宝の山』です。日本での紹介がしばら
く途絶えていたせいで、すぐれた作家、作品がたくさん埋もれたままになっています。
ヴァルガスもベナキスタも、邦訳はまだ1冊きりですが、ほかにもいい作品がたくさ
んありますし、ちょっと古いところでも、フレデリック・ダールなどもっと翻訳され
ていい作家だと思います。ジャン・ヴォートラン、ディディエ・デナンクスなんかも、
どんどん出して欲しいです。ぼく自身も、新旧問わずいい作品を見つけ出して訳して
いきたいですね。
とりあえず、今予定しているのは、ティエリー・ジョンケという作家です。ネオ・
ポラール(*)の流れを受けて80年代にデビューし、現在まで活躍中です。来年早々に
でも1冊出して、評判がよければ続けたいと思っています。それから、数年前に急逝
したのですが、ジャン=クロード・イッゾという作家がいて、マルセイユを舞台にし
て暗い過去を背負った主人公を切々と描いた作品を書いています。日本の読者にどれ
くらい受け入れられるかはわかりませんが、訳したい作家のひとりです」
*ネオ・ポラール……ロマン・ノワールよりも社会性を強めた「新しいミステリ」。
1970年代後半から80年代にかけて流行した。代表的な作家はA・D・G、マンシェッ
ト、ヴォートラン。
――平岡さんの考える、英米作品にはないフランス・ミステリの魅力とはどんなもの
でしょうか。
「うまく説明するのはむずかしいのですが、映画にたとえてみると、フランス映画と
ハリウッド映画では全然発想が違いますよね。ハリウッド映画は万人が楽しめる最大
公約数的なおもしろさのテクニックを徹底的に追求する。それに対してフランス映画
は、娯楽映画でも自分の作りたいものを作ってしまう。映画ほど明確ではないかもし
れませんが、小説の場合にも同じような違いがあるように感じます。英米の場合、万
人に受けるような小説作法があって、それに則って書いている、あるいはその小説作
法を意識的に壊そうとしながら書いているのに対し、フランス作家は初めから好き勝
手に書いて、ときにとんでもなくおかしな作品が出現してしまうんです。ペナックに
せよヴォートランにせよ、あるいはマンシェットでも、英米では決して生まれない作
品です。アルテだって、今英米でああいうカーの世界を再現するような作品は書かれ
ませんよね。何が出てくるのかわからない、どう展開するのか予想がつかないたのし
みが、フランス・ミステリにはあると思うんです」
――最後に、今後のご訳書の刊行予定を教えてください。
「6月にポール・アルテの『死が招く』がポケミスから、7月にグランジェのデビュ
ー作『コウノトリの飛翔』(仮題)が創元推理文庫から出ます。アルテはそのあとも、
年に1、2作のペースで出していきたいと思っています。先に触れたグランジェの新
作も版権が取れたそうなので、いずれ東京創元社から出るはずです。ペナックの『ム
ッシュー・マロセーヌ』も先ごろ白水社で企画が決定し、来年末か再来年の初めくら
いには出したいと思っています。ミステリ以外では、中国出身で、天安門事件を機に
フランスに渡り、フランス語で小説を書き始めたシャン・サという女性作家の作品
『碁を打つ少女』(仮題)を秋口に早川書房から出す予定です」
(取材・構成/影谷 陽)
(2003年5月号) |