| 《東野さやかさん》英米文学翻訳家。ランデイ『ボストン、沈黙の街』、ブルー
ウン『酔いどれに悪人なし』『酔いどれ故郷にかえる』、チャイルズ〈お茶と探
偵〉シリーズ、バーセル『霧に濡れた死者たち』など、訳書多数。
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――今年のMWA賞で、翻訳されたジョン・ハートの『キングの死』が最優秀処女長
篇賞に、パトリック・ニートの『シティ・オブ・タイニー・ライツ』が最優秀ペーパ
ーバック賞にノミネートされましたが、それを聞いていかがでしたか?
『キング〜』のほうは、アメリカでの評判もよかったので、ある程度予想していまし
た。『シティ〜』は著者がイギリス人です。アメリカでは馴染みのないクリケットが
モチーフになっているところや、主人公の独特なユーモアや考え方を、アメリカ人が
おもしろいと思ってくれたのが意外でした。こちらは自分の思い入れも強いので、受
賞してほしいですね。
――『シティ〜』について教えてください。
『シティ〜』は、作品を出版するかどうか検討するためのリーディングも担当しまし
た。著者のパトリック・ニートはすでにイギリスで何冊か本を出していたし、ウィッ
トブレット賞までとっています。文学寄りの作家だと聞いていたので、この作品もミ
ステリではないのではと思って、わたしが評価できるかどうか不安でした。実際に読
んでみると、語り口が気に入って、最初の一行から引き込まれました。
わたしはアメリカの探偵小説がいちばん好きなのですが、この作品も探偵が主人公
で、へらず口、ユーモア、ちょっとひねくれた感じとかがすごくよくて。みんなが持
つイギリスのイメージをぶち壊しているけれど、現実を描いてくれていて楽しかった
です。
――イギリス風のユーモアは難しくなかったですか?
読んでいるときはすごく楽しかったんですけど、訳すのはそれまででいちばん時間
がかかりました。主人公は、人生において知るべきことはすべてクリケットから学ん
だという若者なのですが、クリケットの知識がなかったので、一から勉強しなければ
いけなかったのと、新感覚の俗語が俗語辞典に載っていないくて、最先端の俗語辞典
のようなものをネットで探して、必死に訳しました。原文の感じを残したい、伝えた
いと思って。
いままで訳した本はどれも難しかったですが、これとケン・ブルーウンの〈酔いど
れ〉シリーズが双璧ですね。
――主人公のタイプも似ていますよね。違いを出すところに工夫はされましたか?
ニートのほうは主人公が若いので、若さを出しました。独特の正義感が分かりやす
いですね。ブルーウンはもう少しやさぐれている感じを出すよう心がけました。
ニートはアメリカのハードボイルド、一人称の探偵小説をベースにして書いている
と思います。少し前のアメリカの探偵小説の探偵は基本的に、ベトナム戦争帰りが普
通でしたが、その代わりこちらはアフガン戦争に行っている。しかも、主人公はへら
ず口、視点は一人称。依頼を受けて探偵として動いているうちに、自分自身もその事
件に巻き込まれていくというパターンに、新しい味付けをしている。いままでのイギ
リスにはなかったタイプの作品です。
わたしはアメリカの探偵小説が好きなので自然に入り込めたけれど、アメリカの探
偵小説とはぜったいに違う。イギリスには銃規制があるので、銃の撃ち合いにまで発
展してしまうというシリアスさはありません。そういうところも、イギリス的です。
――『キングの死』について教えてください。
出版当時から、大物新人扱いされていたように記憶しています。著者は元弁護士で
すが、作品はリーガル・サスペンスでもないし、法廷で無実を晴らしていくわけでも
ない。殺人事件を軸にして、真相はどうなのかということから、親子関係が書かれて
います。新人作家なので書きすぎるきらいはあるけれど、ミステリとしてもよくでき
ていて、読み応えがあります。
――北上次郎さんが、この作品をすごく褒めていますよね。
もったいないくらいのお褒めの言葉をいただいて、北上さんには足を向けて寝られ
ません。北上さんは、父と子の関係や家族の物語がお好きらしく、田口俊樹さんが訳
されたアルナルド・コレアの『キューバ・コネクション』も褒めています。同じよう
に親子の情愛をベースに書かれたウィリアム・ランデイの『ボストン、沈黙の街』は、
吉野仁さんがたいへん褒めてくださっていて、吉野さんにも足を向けて寝られません。
『キング〜』については、ほかにも関口苑生さんや児玉清さんなど、かなりの読書家
の方々が褒めてくださっています。あのくらいの年代の男性の共感を呼ぶものがある
のかもしれませんね。夫には権力があって、妻は別れるに別れられず、息子は親の言
うことに逆らえないという、昔の日本の親子関係に通ずるものがあり、日本人の心情
に訴えやすいのでしょうか。
そういうウェットな話がアメリカで受けたのは意外ですが、舞台となったアメリカ
の南部には、まだまだこういった上下関係というか家族関係が色濃く残っているので
しょう。ニューヨークやロスでは、こういう物語はぜったいに書けないでしょうね。
――殺人事件があるからミステリかもしれないけれど、それをサブストーリーとして
考えると、親子・家族の再生の物語としても、じゅうぶん読めますね。
むしろ書きたかったのはそっちなんだろうけど、軸としてなにか事件があったほう
が、読者としては読みやすい。最近のミステリは、事件を軸にしていろいろな関係を
書いているのが多いですね。文芸色が濃くなりつつあります。
――いろいろなタイプのミステリを訳していらっしゃいますが、どんな点が難しいで
すか?
もともと、ミステリに関しては雑食ですし、リーディングで自分がおもしろいと評
価した本を訳しているので、基本的には楽しんでいるつもりです。困るのは、コージ
ーを訳しているときにシリアスもののゲラが来たりしたときですね。頭がうまく切り
替わっていかないので。
――ご自分の訳書の中では、どれがいちばん好きですか?
単純に読者として好きなのは、『馬鹿★テキサス』です。スラップスティックで、
ブラックユーモアがきつくて、不謹慎かなと思うくらいきわどい感じの話が好きなん
です。そういう意味で、『馬鹿★テキサス』はいちばんツボです。本国では2作目も
出ているのですが、お馬鹿コンビのレッドとビリー・ドンが、物語の冒頭でいきなり
馬鹿をやらかしてくれます。ああいうのは好きですね。『馬鹿〜』は、表紙もよくあ
そこまで思いきったなと思います。
――〈お茶と探偵〉シリーズは、表紙がうまくいっているいい例ですね。
あの表紙は、最初は違和感がありました。主人公はこんなに若くない、と。でも、
日本の読者にはアピールしたようですね。色の統一感もあって、いまは気に入ってい
ます。
ほとんどの場合、本ができてくるまで表紙がわからないので、できあがった物を見
て「あー、こんな表紙にしたんだ」と思います。タイトルも装丁もそうなんですが、
ある程度こちらから意見を言うこともあるけれど、イラストレーターや製作会社に依
頼した時点で、手を離れるんです。自分のイメージにぴったりの感じでできあがって
くると、やっぱりうれしいですね。
――翻訳ミステリが売れないと言われる中で、ミステリを訳し続ける思いをお聞かせ
ください。
そんなかっこいいものじゃなくて、ミステリしか知らないだけです。おもしろいか
ら読んで、と人に薦められるだけのものを持っているのが、海外ミステリしかない。
日本語になっていないものを読んでもらうためには、日本語にしなくてはならない。
結局、翻訳というのはそこでしょう?
なぜ海外ミステリかという点は、最近は日本のエンターテインメント小説もおもし
ろいものが増えてきていますが、わたしが海外ミステリを読み始めたころは、日本の
ものにぴんとくるものがなかったんです。両親が外国かぶれだったことも影響してい
るかもしれません。だから、自然と海外のものに目が行きました。当時は、向こうの
文化に触れる機会が限られていて、本に描かれた異国の雰囲気を味わうのが楽しかっ
たんです。そういうワクワク感はいまでもあると思うし、描写されている町の雰囲気
などが本を通して伝わればいいなと思います。
本筋である事件のおもしろさだけでなく、町の様子など筋には直接関係ない部分も
楽しめるのがミステリのよさですよね。舞台になった場所に行ってみたいとか、どん
なところかとか、想像をめぐらせてもらえるような本を出していきたいです。
――〈お茶と探偵〉シリーズを読んだら、舞台のチャールストンに行ってみたくなり
ますね。
はい。行ってみたくなります。東海岸沿いはかなり植民地時代の影響が残っている
けれど、あそこはさらにイギリスの影響が色濃く残っている。写真なんか見ると、建
物がほんとうにきれいです。
――翻訳を仕事にしたいと思ったきっかけはなんですか?
翻訳学校には、ずいぶん長く通いました。でも、出版翻訳家になりたいと強く思っ
ていたわけではないんです。翻訳ものはたくさん読んでいたし、翻訳もおもしろそう
だし、英語の勉強になれば、くらいの気持ちでした。パソコン通信で翻訳家を目指し
ている仲間と出会えたあたりから、少しずつ気持ちが変わっていきました。
翻訳を仕事にしたいと本気で思ったのは、仕事をやめてからです。退職金で通った
学校で、小林宏明先生と出会ったのがきっかけですね。リー・チャイルドの『キリン
グ・フロアー』が課題で、訳していったら先生に褒められたんです。もしかして、少
しがんばったらやれるんじゃないか、と。それまでは、なれるなんてぜんぜん思わな
かったし、どうしてもなりたいというほどの気概もなかった。翻訳されたミステリが
好きなだけだったんです。
前述した、パソコン通信で知り合った仲間と原書を1年間に50冊読もうという会を
やったんです。わたしのスピードでは無理と思っていましたが、やってみたら読めて
しまい、それも自信になりました。
いまは、訳書の数も増え、翻訳でお金をいただいているので職業は翻訳家ですが、
翻訳家だとほんとうに実感したのは、『シティ・オブ・タイニー・ライツ』が出たと
きです。
――ごく最近ですね。
自分としてはいまでも、おもしろミステリ紹介屋という気分です。たしかに、お金
はいただいているけれど。『シティ〜』は初めてのハードカバーだったので、自分で
も「ひょっとして、すごい」みたいに思って、うれしかったですね。書店での並び方
が違いますし。
作品を翻訳して紹介しているけれど、紹介している部分に重きを置いているのだと
思います。紹介するだけなら翻訳じゃなくてもいいけれど、たまたま訳すという作業
がおもしろいから。苦しいこともいっぱいありますけどね。ゼロから原稿を書くより
は、翻訳のほうが性にあっていると思います。
――翻訳をするうえで、ふだんから心がけていらっしゃることはありますか?
それはもう、インプットがなければアウトプットもないので、とにかく本を読みま
す。海外ミステリに限らず、日本人の作家とか、いろいろなものを読みます。
あとは映画を見るようにしています。映画好きではないのですが、自分の抽斗を増
やすためと言い聞かせて、むりやり見てます。ストーリーよりも描写されている向こ
うの風景のほうが気になりますね。このくらいの層の人たちの、このくらいの暮らし
をしている人たちの家はこんな感じ、とか。外国に住んだことがないから、そういう
のは貴重です。
――目標とする、または尊敬している翻訳家はいますか?
訳書を出している翻訳家さん、すべて尊敬しています。読むたびに、こういうふう
になりたいと思うことばかりで。
――今後の予定を教えてください。
ローラ・チャイルズの〈お茶と探偵〉シリーズの4作目『イングリッシュ・ブレッ
クファスト倶楽部』が5月に出ます。沈没船とともに海の底に沈んだお宝が絡む話で
す。5作目は11月に刊行予定です。また、ウィリアム・ランデイの2作目も年内に出
る予定です。
(取材・文/吉野山早苗・石田浩子・清野 泉)
(2007年5月号) |