| 《越前敏弥さん》1961年生まれ。東京大学文学部卒業。主な訳書に、『飛蝗の農
場』(ジェレミー・ドロンフィールド/創元推理文庫)、『惜別の賦』『石に刻
まれた時間』(いずれも、ロバート・ゴダード/創元推理文庫)、『死の教訓』
(ジェフリー・ディーヴァー/講談社文庫)、『氷の闇を越えて』(スティーヴ
・ハミルトン/ハヤカワ・ミステリ文庫)などがある。
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――まず『天使と悪魔』を手がけられることになったいきさつを教えてください。
2002年の3月頃、出版社から打診されました。シノプシスを読んだだけでこれは得
体の知れない魅力のある作品だぞと思い、引き受けることにしました。最初のふれこ
みではウンベルト・エーコに似ているという話で、ぼくのところにまわってきたのも
そういった小難しい歴史ミステリ、宗教絡みという印象だったからだと思うけど、そ
れが実はまったく違って、これだけ難しいことをこれだけわかりやすく書いている作
品に出会ったのは、もう何十年ぶりという感動がありました。フレデリック・フォー
サイスの『悪魔の選択』などを読んだときのようなインパクトでしたね。そういう点
がおもしろくて、自分にとって新しいジャンルだなと思いました。
――これまでロバート・ゴダードやジェレミー・ドロンフィールドなどの、どちらか
と言うと難解な作品を訳されているイメージがありますが、この作品はかなりエンタ
ーテインメント色が強いですよね。こういった作品もお好きなのでしょうか。
いや、この作品もテーマ自体は難解なんですよ。もともと自然科学には興味がある
のでやっていて飽きないし、おもしろいと言われる作品のなかでは自分に向いた作品
だと思います。もちろん売れるほうがうれしいに決まっていますし(笑)。
――この作品は事実や実在の場所をもとにして書かれたフィクションということで、
調べものが大変だったのではないでしょうか。
自然科学は得意とは言っても反物質(※)についてはほとんど知らなくて、用語に
はひっかかりました。名詞の専門用語なんかは調べれば出てくるけど、動詞や形容詞
が難しい。例えば化学反応が起きたときに「爆発する」ということばを使っていいも
のかとか、ほんのちょっとした用語ですね。車の免許を3年前にとったのはそういう
ことを感じたからで、自動車の部品なんかは調べればすぐにわかるけど、肝心のドラ
イバーの感覚を表す「ブレーキが甘い」という言い方とか、ある程度実際に経験して
いないとわからないことがある。
この作品でも天使についてなど具体的なイメージを持っていないと末端の部分が訳
せないので、専門書はいくつか読んだけど、セルン(CERN:欧州原子核研究機構)
については東京大学の蓮實前総長が2000年度の入学式の式辞で紹介された際の全文が
Webで公開されていて、これが素人にもわかりやすく、非常に参考になりました。図
像解釈学については若桑みどりさんの著作を2冊と、マイケル・フレインの『墜落の
ある風景』を読みました。『天使と悪魔』の主人公は宗教象徴学教授ですが、作品で
は具体的なシンボルの読み取り方までは出てこなくて、周辺の知識が出てくるくらい
ですけどね。
あと、苦労したのは4行詩です。17世紀のものですが、その当時のことばで訳すと
日本の読者が手がかりに気づかないかもしれないとか、ある程度わかりやすくすると
同時にそれらしくしなくちゃいけないという点で、思い切り古風な言い方にはできな
くて、これは相当悩みました。
ローマは行ったことがないので、行ったことのある読者が多いだろうと思うと怖い
です(笑)。今はインターネットで調べれば写真なども見つかるのでそれほど不自由
はしませんが、行ったほうが立体的なイメージがつかめるので、3作目あたりでは舞
台となる国へぜひ行ってみたいですね。
訳した作品に出てきた場所というのは、今でも行きたいと思っているところがたく
さんあるんですよ。スティーヴ・ハミルトンのパラダイスや、ゴダードの『惜別の賦』
に出てくるトゥルーロという町などがそうで、作品を楽しみたいというだけじゃなく、
誤訳がないかとか(笑)、どうしても心残りがあって、夢にその場面が出てくること
もある。『惜別の賦』は最初に訳した作品なので特にそういうことがあります。
(※)作中、セルン(欧州原子核研究機構)の科学者が反物質の生成と貯蔵に成功す
るが、何者かに奪われる。
――訳していて印象的な場面はどこでしたか?
ネタバレになるので詳しくは言えないんだけど、中盤の、ある人物が科学と宗教に
ついて延々と語るところが一番のりました。
――翻訳にはどれくらいの期間がかかりましたか?
途中何度か中断したので、正味4か月くらいでしょうか。中盤でドライブがかかっ
てからは早かった。そういった意味では訳したくなる作家です。
普通どの作品も真ん中あたりでドライブがかかるものだけど、ドロンフィールドの
『飛蝗の農場』は最後までそれがなくて辛かった(笑)。1年くらいかかったかな。
だけど訳者の悪夢がそのまま読者にも伝わったのかもしれないと思うと、それはそれ
でよかったのかもしれない(笑)。
――訳者の目から見たこの作品のおもしろさはどんなところでしょうか。
自信を持って薦められる作品ということでは、ぼくのこれまでの訳書のなかで一番
です。本が好きな人ならだれでも愉しめると思う。あと、ローマや宗教美術が好きな
人ならミステリが好きじゃなくても愉しめるだろうし、マイクル・クライトンなどの
読者も気に入ると思いますよ。
――2作目の "THE DA VINCI CODE" も手がけられるということですが、刊行はいつ
頃になりそうですか?
2004年のなるべく早いうちにと思っていますが、『天使と悪魔』の売れ行き次第な
ので、なるべくたくさんの人に買ってもらいたいですね(笑)。
――『天使と悪魔』についてはこれくらいにして、越前さんはいつ頃からどんな作品
を読んでこられましたか? やはりミステリがお好きだったのでしょうか。
ミステリは子供のころから読んでました。高校生くらいからは翻訳小説自体を読ま
なくなって映画を見始めたんだけど、25歳くらいからまたミステリを読み始めて、こ
のころは仕事が忙しかったせいもあり、短篇をよく読みました。ホームズやブラウン
神父あたりからまた読み返して、当時一番好きだったのはアシモフの〈黒後家蜘蛛の
会〉シリーズなんですよ。もともと軽いパズラーが好きなので、知的好奇心を心地よ
く刺激する作品を訳したいと思いました。今はやはりゴダードが一番好きですね。
――プロになって最初のころの失敗談などありましたら教えてください。
失敗談というか、もうお辞めになりましたけど、東京創元社の名物編集者には徹底
的に絞られました。最初に訳した『惜別の賦』は直しで編集部に7回行ったことから
もどんな様子だったかわかるかと思いますが、以来、そのかたには頭が上がりません。
――次に訳したいと思う作家はいますか?
これまでとは違う新しいタイプの作家に挑戦してみたいですね。今のように重厚な
歴史ものや難解な作品をメインにする一方で、軽いものも年にひとつかふたつやって
新境地を開拓したいという気持ちもあります。
――最後に今後の訳書のご予定を教えてください。
2004年の2月頃に初のロマンス小説が出ます。ロナルド・アンソニーという新人の
作品ですが、男性視点のロマンス小説というか、ニコラス・スパークスのようなタイ
プで、老若男女を問わず、愛する人へクリスマスやバレンタインデーのプレゼントに
贈りたくなるような作品です。タイトルは『父さんが言いたかったこと』(仮題)。
これは新境地のひとつ(笑)。それから、同じ2月にCWAヒストリカル・ダガーを
受賞したアンドリュー・テイラーの3部作の1番目が出る予定で、その次が "THE DA
VINCI CODE" になると思います。
(取材・文/松本依子、山本さやか)
(2003年11月号) |