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アルバム写真のような絵本だと思いました。
紹介される人々は、いえ、犬や猫、ヤギまでもが、みな、絵本の中から私たち読者を見つめています。
薄暗い画面の中に、記念撮影のようにおさまった十二の家族――ダム建設のため、後にこの「シェイカー通り」を去っていく人びとです。
彼らの暮らしぶりが簡素で貧しいことは、画面から切々と伝わってきます。つぎはぎの古い家、庭に放置されたガラクタの山。互いにささやかな交流を持ちながら、彼らはここで細々と生計を立てています。「びんぼうシェイカー」とからかわれることはあっても、こぢんまりとした等身大の幸福を築いている『シェイカー通りの人びと』がここには存在しているのです。
やがて―物語の進行は、あくまで淡々と――立ち退きを命ぜられた彼らは、次々とこの地を去り、替わってやって来た何台ものブルトーザーが「まるで鉄でできた恐竜みたいに、シェイカー通りをかみくだいて」いきます。シェイカー通りに立っていた十二軒のうち、高い丘の上に立つハーチマー姉妹の家だけを残して、全てがダムの水の底に沈でいくのです。
その後、シェイカー通りの残された部分は近代的に整備され、裕福な人々が大きな邸宅を建てて移り住みます。「貯水所通り」と名前を変えた、その通りを描いた見開きの場面は、これまでとはうってかわった明るい色調です。芝刈り機で庭を手入れする人、ウッドデッキでくつろぐ家族、通りには大型セダンが行きかい、プールをしつらえた、りっぱな屋敷も目立ちます。
これは、かつて確かに存在していた、一つの貧しい集落への挽歌なのでしょうか? なんの不平も口にせず、州の指示のままに従い、去っていった人びとへの哀歌でしょうか? しかし、この短い物語の中には、「人びと」が「シェイカー通り」を追われてしまうことへの抗議も、緑豊かな丘陵を人工的に切り崩してしまうことへの非難も、いっさい描かれてはいません。『ちいさいおうち』で目の当たりにした、長い年月を経て少しずつ失われていく田園風景。類えて、僅かな時間で劇的な変化を遂げる「シェイカー通り」の姿は、残酷にも思えます。これ以上ないほどに言葉をそぎ落とし、トーンを抑えた語り口が、なおさら、胸にずしりと重いのです。
プロベンセン夫妻の行き届いた観察眼は『かえでがおか農場』シリーズで実証済みですが、その微笑ましくもある画風そのままに、進歩の影でひっそりと消えていった人びとを、穏健な筆致で描いています。「あなた方もご存知の、あの人びとはもういません。」という終盤の一言が、長く私の胸に響いていました。テーマ、描き方、さらには読後感も、心に残る印象的な一冊です。
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