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子どもの本だより No.63 2004.11.11

63号の画像

 エリナー・ファージョン、デ・ラメア、そしてディラン・トマスといった、英国の詩人に愛されたのは、その繊細な画風からでしょうか? なかでも、ファージョンは、彼の挿絵を見て、「子ども時代のすべてがここにある」と評したそうです。彼とは、むろん、エドワード・アーディゾーニ、その人です。 今月は、彼が物語も手がけた二冊の絵本をご紹介いたします。

(吉田真澄) 


『時計つくりのジョニー』 『チムとゆうかんなせんちょうさん』

時計つくりのジョニー:表紙 チムとゆうかんなせんちょうせん:表紙
エドワード・アーディゾーニ 作
あべ きみこ 訳
こぐま社
定価 1,365円(税込)
エドワード・アーディゾーニ 作
せた ていじ 訳
福音館書店
定価 1,365円(税込)

 

 自分が女だから言うのではありませんが、「男の子」とは、実に繊細で、アンバランスなほど自負心の強い人種だと思っています。思うように事が進められないのは自分が幼いから、という当たり前の事実を受け止めるのは、いよいよ後がない、という時だけ。細い小さな脚で地面をけるように歩くのも、「男の子」の特徴でしょう。そんな「男の子」を描くことに関して、この作家の右にでるものはいないのではないでしょうか。チムもジョニーも、自分の好きなことに没頭できる、ひたむきな男の子です。ただ、1936年に描かれたチムよりも、それからおよそ30年後に描かれたジョニーの方が、ややシャイな印象を残します。大きな柱時計を作り上げてしまうほどの芯の強さとは対照的な、泣きべそ顔。現代の子どもたちに近いのは、このジョニーの方かもしれません。『時計つくりのジョニー』を初めて読んだ時、主人公の両親の得手勝手なふるまい(しかもワンパターン)には、正直なところ辟易しました。一番の理解者であるべき両親の口から発せられるのは、ジョニーを否定する言葉ばかり……。しかし、物語を最後まで読み通してみれば、この小さな主人公の存在感が、そんな大人の卑しさを駆逐しています。(それにつけても、この両親の描き方は、あまりに大雑把でお粗末過ぎるというものですが。) この絵本の扉には、「まごのスザンナに」と記されていますが、なるほど、物語の中で、スザンナという可愛らしい少女は、大変重要な役割を担っています。ジョニーは、たった一人、自分をわかってくれる友達スザンナの後押しで、時計つくりに成功するのですから。私たちは、たとえ一人きりでも、心から自分を理解してくれる人がいれば、勇気を持つことができるのです。
 
『チムとゆうかんなせんちょうさん』が日本で出版されたのは、およそ40年前です。
 私もこの絵本を持っていましたが、勇敢なのは、船長さんではなくてチムのほうだとずっと思い続けていました。大きな船に隠れて乗り込むなんて、勇ましいじゃありませんか。しかし今回、この絵本(新装版)のカバー裏に書かれた船長さんの言葉を読んで、改めて納得しました。それは、難破寸前の船の中で彼が口にした、雄雄しく、凛然たる言葉です。 

 「やあ、ぼうず、こっちへこい。なくんじゃない。
  いさましくしろよ。わたしたちは、うみのもくずと 
  きえるんじゃ。なみだなんかは やくにたたんぞ。」

 この船長の言葉で、チムは涙をぬぐって、甲板に立ちます。 私が、船長さんを特別「ゆうかん」だと認識していなかったように、女の子は、意外にあっさりとこの物語を楽しむようです。しかし、やはり、男の子は違います。絵本に食い入るように熱中した後、これに「続き」があると知れば、すぐにでも読みたがるでしょう。そして、チムもジョニーも、彼らの仲間となるのです。
 今回、この二冊の絵本を読んでいて、私は、それぞれの主人公が泣く姿に注目してしまいました。チムは、大粒の涙をぬぐおうともせず、泣き濡れますが、ジョニーの方は、涙を見られないよう、手の甲で両目を覆って泣いています。船員の中で、たった一人きりの子どもだったチムと、学校で友達にいじめられて泣くジョニーとは、むろん、そのおかれた状況は大きく違うでしょうが、何れにせよ、現代の子どもたちが、チムのように泣くことができる機会(時間といった方がいいかもしれません)は、限られているといわざるを得ません。
 思い切り落涙できる幸せな時間はあっという間に過ぎていきます。そんな「あっという間」の真っ只中にいる、全ての男の子に、この二冊の絵本を読んで欲しいと願うばかりです。


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