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子どもの本だより No.57 2004.2.12

emily

 1830年、マサチューセッツ州アマーストに生まれたエミリー・ディキンソンは、56年の一生を自分の家で送り、逝去するまでの20年間はほとんど家から出ることなく1775篇もの詩を書き続けていたといいます。
 「どんな女性だったのだろう」「詩は、どんなふうに彼女の中から生まれたのだろう」という私の興味は、この物語の主人公である少女のそれと同じです。今月は『エミリー』を紹介します。
 ご挨拶が遅くなってしまいましたが、みなさま、今年もどうぞよろしくお願い致します。

(吉田真澄)
 


『エミリー』

マイケル・ビダード 作 バーバラ・クーニー 絵 掛川恭子訳 ほるぷ出版 本体(1400円)+税

『エミリー』:表紙



 リリーホワイト色の見返しをめくると、そこには、開いたドアから明るい戸外へ出て行こうとする白いドレスの女性が描かれます。首筋のすっと伸びた、姿勢の良い後姿です。次のページの右上には白ユリの花。緑みがかったリリーホワイトは、わかば色を背景に艶めいて見えます。そして、物語が始まる前のページにくっきりと描かれるユリの球根。こうしたディテールが目に優しいのも、私がこの本を愛する理由の一つです。クーニーの数ある作品の中では、この絵本を一番気に入っています。時々、声に出して読んでみることもあるくらいです。
 たおやかで清潔な言葉の数々、ささやかな語り――すると、私のこの絵本に対する愛着は、ますます強まるのでした。
 物語は、アメリカの詩人エミリー・ディキンソンと、ある少女の出会いを軸に描かれます。少女の曇りの無い視線は、近所で色々と噂される「なぞの女性(ひと)」エミリーを真っ直ぐに見つめ、静かに共鳴するのです。
 ピアノを弾きにいく母に伴って、エミリーの住む黄色い家を訪ねる前の日、少女は父親とサンルームにいました。ここで交わされる二人の会話から、構えることなく率直に物事を見る少女の伸びやかな気性は、どうやら父親譲りらしいことが推察できます。少女にとって、「詩」とは、春になると美しく芽吹く草花と同じように不思議なものです。この会話の最後で、少女は「詩」について父親に尋ね、父親はこんなふうに答えます。

   「ママがピアノをひいているのをきいていてごらん。おなじ曲を、なんどもなんども練習しているうちに、あるとき、ふ
   しぎなことがおこって、その曲がいきもののように呼吸しはじめる。きいている人はぞくぞくっとする。口ではうまく説
   明できない、ふしぎななぞだ。それとおなじことをことばがするとき、それを詩というんだよ」

 期待と不安と、それから憧れにも近い思いを懐いて少女は当日を迎え、白いドレスに着替えて出かけるのです。 (黄色い家に)いけるのだとおもうと、なんだかこわいきがします。黄色い家のあの人もこわがっているのではないでしょうか。それで、すぐかくれてしまうのです。知らない人がくるとにげてしまうのは、そのせいなのです。でもどうしてでしょう――わかりません。人間というのも、ふしぎななぞなのでしょう。
 こっそり上がって行った階段の踊り場で、初めてエミリーと言葉を交わした少女は、その声を「かろやかで、はかなくて、まどべにならべたブルーベルのよう」だと感じます。その花が、この物語の初めの方でちゃんと描かれていることをご存知でしょうか? エミリーから少女の母親に最初の手紙が届く場面です。Bluebell(青い鈴)という名にぴったりの、おちょぼ口のように開いた薄いブルーの花びら。エミリーは、この花を手紙の中に忍ばせていたのでした。
 淡くはかない花が引き合わせたようにさえ思える二人。少女を前にして「詩はあなた」と語ったエミリーと、「春をもってきてあげたの」と言って球根を差し出した少女――その場面は無垢な喜びに満ちていて、読むたびに胸がドキドキします。  橡の実みたいに愛らしい少女の後姿、ラピスラズリにも似たヒヤシンスの青紫、薄曇の雪空、その全てを私は愛してやみません。

   「この世の中には、ふしぎななぞが、たくさん、たくさんあります」

 物語は、両手を大きく広げて春の訪れを喜ぶ少女の姿で終わります。季節が巡ることも、人との出会いも、目には見えない私たちの心も、「ふしぎななぞ」なのでしょう。あどけない鈴の音のような少女の声が、私に改めてそれを教えてくれているのです。


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