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子どもの本だより No.56 2004.1.1

pinokio

 “嘘をつくと伸びる鼻”これは衝撃です。奇抜で滑稽で、一度耳 にしてしまったら、忘れることはできないでしょう。「ああ、あの お話ね」なんて知ったつもりになってしまわないで、初めから読ん でみませんか? 再発見と新たな満足感をお約束します。何を隠そ う、私も充分に――子どもの頃以上に――楽しんだ大人の中の一人 です。

(吉田真澄)
 


『ピノッキオの冒険』

コッローディ 作 杉浦明平 訳 岩波少年文庫 本体(720円)+税

『ピノッキオの冒険』:表紙



  私は幼い頃、この物語を好きではありませんでした。善良で正直なおじいさんを何度も裏切る主人公の姿が辛くて読み進めることができなくなってしまったのです。けれども、この岩波少年文庫版が復刊され、再びこの物語に出合った時、私がかつて読んだものはこれではなかったとはっきり感じました。私の記憶の中のジェッペットおじいさんはもっと弱々しくて、ピノッキオに激しく悪態をつくなんてことはありませんでしたし、ピノッキオはもっとずるくて、それなのに、挿絵では大変愛らしく描かれていて、それも子ども心に我慢ならなかったのでした。
 改めて、この少年文庫版(杉浦明平訳)を読むと、やはり全体的にからりとしていて、流れるように物語は進行します。古めかしい言葉遣いも、この馴染み深い物語の中で使われると、却って垢抜けていて、熟れた印象です。足が焼けてしまったり、木の枝に首をくくられたり、と惨い場面もありますが、生真面目にすっきりと語られるから、何だか納得ずくで事が行われているような不思議な感覚さえします。
 訳者のあとがきによれば、この物語は1881年の「子ども新聞」に連載されたもので、当初は、現在の物語の半分にも満たない第15章(ピノッキオが大ガシの枝に吊るされて死んでしまう)で終わってしまったそうです。けれどもこの物語の評判があまりに良かったため、翌年、ピノッキオを甦らせて連載を再開し、今度は第29章(ピノッキオが無事に仙女の家に戻ってよい子になるまで)で終了。さ らに、もっと続けて欲しいという要望に応えるかたちで36章までを書き加え、ようやく足かけ3年に渡る連載を終えたということです。このような経緯から、ところどころ辻褄の合わない箇所も発生したとして、その場面を訳者はあとがきで具体的に指摘もしています。それらは、率直に言って、私にとってほとんど気にならないことばかりでしたが、ただ、幼い私が耐え難かった主人公の妄動の謎が解かれたようではありました。だって、「いつでもよい子でいます」「けっして嘘はいいません」と約束した次の場面で、もう悪い友だちの誘いにのってしまう主人公です。いったいぜんたい、どうしてこんなに軽々しく約束を破ってしまえるのか、そしてまた、守れない約束を、なぜ繰り返すのか……。ましてや、私が最初に出合った本は、いかにも甘ったるい挿絵のついたシロモノ(?)で、ピノッキオの妄動は“裏切り”というより、むしろ“欺瞞”のようでもありましたから。
「いい子になる」と約束したところで物語は終わるはずだったと知れば、合点がいきます。仙女さまが「子どもというものは約束する のも早いけれど、たいてい、忘れるのも早いものです」とピノッキオに言って聞かせる場面がありますが、これも、ピノッキオの次な る行為の伏線といえそうです。(それでもこの仙女さまの言葉には違和感を覚える私なのですが。)
 さて、なかなか「よい子」にはなれないピノッキオをとりまく悪役たちも、それぞれが強烈な個性を誇っています。「足のわるいき つね」や「両眼とも見えないネコ」はその最たるものたちで、悪い子を次々にロバに変えてしまう恐ろしい小男なども登場しました。 強面の彼らは、物語に勢いをつけ、読者をぐっと引き寄せる力を持っています。その徹底した悪漢ぶりは、時にぞっとするほどに恐ろ しくて、だからこそ、主人公の後悔と懺悔が引き立つのでしょう。が、反面、のんびりおっとりとした登場人物もいます。たった二つ の場面しか出番がない彼女は、仙女さまに仕える「カタツムリ」です。どこか『不思議の国のアリス』の「とかげのビル」(この人も 私のお気に入りです)を思わせるマイペースな振る舞いに、私はすっかり参ってしまいました。これは全く新しい発見で、今回の嬉し い収穫の一つとなったわけです。皆さんも彼女を探してみてください。


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