
子どもの本だより No.54 2003.8.31

中学生の頃、女主人公の波乱万丈な人生を描いた小説を好んでよく読みました。『ジェーン・エア』でも『風と共に去りぬ』でも、主人公はいつも強く気高くて、女性の生き方が制限された時代にあって尚、その精神は自由でした。
今回ご紹介する作家、クシュマンとの出会いは、『金鉱町のルーシー』という本でしたが、このルーシーという誇り高い少女は、かつて憧れた前述の女主人公たちを思い起こさせたものです。そして、この「アリス」という少女のひたむきな生もまた、私の心を強く惹きつけてやまないのです。皆さまは、どんなふうに感じられるでしょうか?
(吉田真澄)
『アリスの見習い物語』
カレン・クシュマン 著 柳井 薫 訳 中村悦子 絵 あすなろ書房(初版1997年) 本体(1300円)+税

初めて題名を目にした時は、主人公である少女の成長を(どちらかというと)軽いタッチで、あくまでも明るく綴った物語だと思ってしまいました。何といっても、「アリス」という名前は、愛すべき少女の代名詞ともいえる呼び名なのですから。『魔女の宅急便』のような稚い物語を想像していた私の思い込みは、けれども、第一行目を読んだ瞬間、吹き飛んでしまったのです。
舞台は中世のイギリス。堆肥の中で眠る一人の少女の姿から始まります。腐って熱を放出する堆肥の中は暖かく、ひどい臭いはするものの、この中で眠れば、少女は凍えずにすんだのでした。少女は、「うすよごれて栄養不良で、だれにもかまわれていなかった」ばかりか、年齢も、その上名前さえ、「だれも知らなかったし本人も知らなかった」のです。家も母親もない彼女は「ブラット」(子どもをさげすんでよぶ言葉。「がき」の意味)とよばれ、盗んできた食べ物で命をつないでいたのでした。
のっけから衝撃をうける、この物語の原題はThe Midwife's Apprentice=Bなるほど、「アリス」の「ア」の字もありません。シンプルで硬派な原題は、内容と合致していて一安心といったところでしょうか。
「ジェーン」という、村でただ一人の産婆に出会った少女は、原題が示すとおり、そこで下働きをするようになります。とがり鼻の「ジェーン」は、その職業にも似ず心の貧しい女性でしたから、少女を邪険に扱いますが、それでも少女は、産婆という仕事に魅せら
れていくのでした。
「生きる」ことそのものに、ありったけの力を注がなければならない主人公の少女の姿は、それだけで痛ましいものがあります。しかし、少女の本能の中に、「生きる」ことを放棄してしまおうとする選択肢はありません。だからこそ、この凛然たる少女が、いつかきっと自分の居場所を見つけられることに何の疑いを懐くことなく、私は物語を読み進めることができたのでした。作者は、どんな状況にあってさえ、いいえ、厳しい生活の中でこそ、喜びは冴えて輝くのだということを、抑えた筆致の中に、訥々と語ってもくれているのです。名前を持たなかった少女が、自分で自分を「アリス」と名づけた時の感激は、たとえばこんなふうに表現されます。
「自分をアリスと名づけた女の子は、荷物を背おいなおした。そうして背筋をのばすと、
足を地面にふんばって、とんがりジェーンの小屋へと帰り道をたどった。アリスは、心に
ともったともしびのせいで、あたりが暗くなって冷えてきたのにも気づかなかった。」
「グルル」と名づけたやせっぽちの猫と共に、やがて村を去ったアリスは、思いがけなく文字を習い覚える機会を得ます。そして、物語の終盤、アリスは初めて涙を流すのです。自分の命を繋ぐことだけに必死だったアリスが、恵まれない小さな男の子のために嗚咽するこの場面もまた、彼女の新しい未来を予感させます。
人生は、もっと過酷なものであるかもしれませんが、物語において、私たちは、心におさまりがつかないほどの理不尽な苦しみを味わいたくはないはずです。近頃のヤングアダルト小説にありがちな、問題提起だけはいかにも律儀に細部まで描きこみ、その解決策はというと、おざなりで取るに足らず(不幸な少年少女たちはそのままか、もしくはもっと悪い状況になって)パタンと終わってしまうようなものを読むと、辛くやるせない気持ちになってしまいます。
ある老齢の映画監督が「人は仕事をして生き、仕事をしながら死ぬのだと思っている」と、ご自分の著作の中に書いていましたが、この物語の終わりで、私たちは、主人公アリスが、そんな自分の生きる道を確信する鮮烈な場面に出合います。それは、何のために生まれてきたのか、という疑問が解ける瞬間でもあったことでしょう。だって、自分の歩むべき道を見つけられた人ほど強いものはないのですから。
博物館学の専門家である著者だけに、薬草や香草とその効用については、全編をとおして詳しく語られています。それほど長い物語ではないので、登場人物一人一人を丹念に描写するまでには至っていませんが、そのぶん、本を読みなれていない子どもたち(高学年以上だと思います)も構えることなく、読みきることができるでしょう。本を閉じた時、充足感とともに、この続きをぜひ書いて欲しいという思いもこみあげてきた私です。
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